大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所八王子支部 昭和56年(わ)1229号 判決 1982年12月22日

主文

被告人佐藤秀夫を懲役一〇年に、被告人佐藤シヅ子を懲役七年に各処する。

被告人らに対し、未決勾留日数中各三〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

理由

(被告人両名の身上経歴及び犯行に至る経緯)

被告人佐藤秀夫(以下単に秀夫ということがある。被告人佐藤シヅ子についても同様である。)は、昭和三五年に福島県内の中学校を卒業後、集団就職で上京し、以来、工員、タクシーの運転手など種々の仕事に就きながら、都内各地を転々としていた者、被告人佐藤シヅ子は、埼玉県内で出生し、一六歳のころから、同県内のいわゆる米軍(当時)朝霞キャンプ付近で、米軍人などを相手方として売春をするようになり、以来、結婚したことなどにより中断もあつたが、概ね、同県内の朝霞市内などで売春などをして生活していた者、六田愛子(昭和五年三月二八日生、以下単に六田ということがある。)は、石川県内で出生し、尋常高等小学校を卒業し、洋裁学校に一年間通学した後、工員として働いていたが、昭和二一年ころ両親の許を飛び出し、埼玉県朝霞市内で飲食店の従業員などをして働き、シヅ子とも顔見知りとなり、同じ店で共に売春をしたこともあつた者である。秀夫とシヅ子は、昭和五一年一一月に結婚するとともに、互いに相手方の連れ子と養子縁組をし、子供二人と東京都練馬区石神井町一丁目一番都営南田中住宅三五号棟二〇四号室(鉄筋コンクリート五階建住宅の二階)に居住していたが、昭和五三年七月ころ、埼玉県朝霞市栄町五丁目八番二号所在の店舗を借り受けて、飲食店「三春」を開店し、秀夫が同店のいわゆるマスター、シヅ子がいわゆるママとして働くようになつた。しかし、次第に客足が遠のき、通常の飲食店としての営業だけでは苦しくなつたため、シヅ子と女性の従業員が、同店に来た客などを相手に売春もするようになつたが、右従業員が同店を辞めたため、その代わりに昭和五五年五月ころ六田を雇い入れ、秀夫は、六田に競艇の賭金などを貸し付けたが、その取立のためもあつて、同年一〇月ころから同女にも売春をさせるようになつた。ところで、昭和五六年二月ころ、被告人らは、六田が逃げ出したり、「三春」に関する悪口を言い触らすのを防ぎ、また同女のために借りていたアパート代を節約するため、同女を朝霞市内のアパートから前記被告人ら方に転居させたが、同女の客扱いには、その接待中に居眠りをするなど、種々の不行届きがあり、売春の相手方となつた客からの苦情もあつたため、秀夫は、同女に対し、叱責を加えたうえ、その頭部や顔面を平手あるいは手拳で殴打することがあり、シヅ子も、六田の不手際は、秀夫の注意の仕方が足りないからだなどと言つて、秀夫の右のような行動を助長する態度をとつていた。このようにして、被告人らは、しばしば、「三春」の営業を終えて自宅に帰つた後、六田に対し、布団も与えずにベランダで寝かせるなどの虐待を加えるようになつた。

(罪となるべき事実)

第一  被告人両名は、昭和五六年三月初旬ころの午前零時ころ、前記「三春」店舗内において、六田に対し、営業時間中に居眠りしたことを注意したところ、同女がこれに口答えをしたうえ、シヅ子を片輪者呼ばわりしたことに立腹し、共謀のうえ、シヅ子が同店舗内の石油ストーブにかけてあつた鍋内の熱湯を六田の両下腿部に浴びせ、更に、秀夫が、同女の両肩を同店舗内畳席部分の畳の上に押さえつけたうえ、シヅ子が前同様の熱湯を六田の両下腿部に浴びせ、よつて、同女に対し、加療約一か月間を要する両下腿第三度熱傷等の傷害を負わせた。

第二  同年七月一三日午後一一時ころ、前記「三春」店舗内において、被告人秀夫は、六田の客扱いが悪く、同女が接客中に居眠りをしたことに立腹し、同女に対し、シャッター降し用鉄棒(長さ約1.05メートル、直径約1.3センチメートル、昭和五六年押第二三九号の五)で、その頭部、顔面、肩部及び腰部などを多数回にわたつて強打し、更に、サンダル(同号の七)を履いた右足で、その頭部及び顔面などを多数回にわたつて足蹴にするなどの暴行を加え、その後前記被告人ら方に連れ帰つてからも、被告人両名は、同所において、六田が小便を漏らしたり、食事を摂らないことに立腹し、共謀のうえ、同女に対し、木刀(押収してある木刀、昭和五六年押第二三九号の八と同様のもの)などで、同月一四日の昼ころ、それぞれ、その腰部、腕部を数回殴打するなどの暴行を加え、同日夕刻ころ、シヅ子がその右肩部などを数回殴打し、秀夫が、その胸部、鼻根部を強く突き、その頭部、肩部、腰部を数回殴打するなどの暴行を加え、更に、同月一五日の午前中及び夕刻ころ、それぞれ、右木刀で、その肩部、腕部を数回殴打するなどの暴行を加え、よつて、同女に対し、鼻骨骨折を伴う鼻根部挫創ないし挫裂創、下口唇挫創、後頭部挫創等の傷害を負わせた。このため、同女は、同月一四日の昼から食欲が減退し、同日夕刻からは、食事を殆どしなくなり、また、体温も、同日の夜に、39.5度に達し、以来四〇度を前後し、息遣いも荒い状態が続き、同月一五日午後からは、自力で起き上がることもできず、布団の中で失禁するようになり、同月一六日には、その意識も判然としなくなるなど、かなり重篤な症状を呈するに至つた。ところで、同月一六日当時、六田の容態は、直ちに医師による適切な治療を受けさせれば、死の結果を予防することが十分に可能であり、かつ、被告人らには、同女をして直ちに医師による適切な治療を受けさせ、もつて、その生命を維持すべき法的義務があるにも拘らず、被告人両名は、医師による治療を受けさせた結果、六田に傷害を与えた事実が発覚し、その刑事責任を問われることをおそれるあまり、六田をして、直ちに医師による治療を受けさせなければ、同女が死亡するかもしれないことを認識しながら、それもやむをえないと決意し、共謀のうえ、そのころ以降も、同女に対し、飲み物を吸い呑みで与え、また、自宅内にあつた、化膿止めの錠剤、解熱剤及び栄養剤を投与し、氷枕をあてがうなどしただけで、医師による治療を受けさせるなどの有効適切な救護の措置を講ずることなく、同女を自宅六畳間に就床させたまま、これを放置し、よつて、同月一九日午後一時三〇分ころ、同所において、同女をして、前記創傷を誘因とする心冠動脈狭窄に基づく心機能不全、もしくは、右創傷に起因する感染症、更に合併症としての就下性肺炎、細菌毒素によるシヨツク、炎症による脱水シヨツクないし末梢性循環不全を誘因とする冠動脈閉塞により死亡させて殺害した。

第三  被告人両名は、息子の○○(当時一七歳)と共謀のうえ、同月一九日午後一〇時ころ、前記被告人ら方において、秀夫が、六田の死体をロープ(押収してある白紐三本、昭和五六年押第二三九号の二ないし四はその一部)で縛つたうえ、秀夫と○○において、布団袋(同号の九)に詰めて運び出し、これを自家用普通乗用自動車の後部トランク内に押し込め、翌二〇日午前零時ころ、東京都西多摩郡奥多摩町原九五〇番地(奥多摩有料道路川野料金所から9.8キロメートルの地点付近)に赴き、同所東側道路脇の草地において、秀夫及び右○○が、深さ約三〇センチメートルの穴を掘つたうえ、その中に六田の死体を落とし入れて土石をかぶせて埋め、もつて死体を遺棄した。

(証拠の標目)<省略>

(判示第二の殺人罪を認定した理由について)

弁護人は、判示第二の所為について、一、被告人らに不真正不作為犯における作為義務はなかつた、二、被告人らは、六田に対し、飲食物を供与し、各種薬品を投与していたのであるから、不作為には該らない、三、被告人らに殺意はなかつた旨各主張するので、以下、この点について検討する。

一作為義務について

弁護人は、1、加害行為がいわゆる「先行行為」として不作為による殺人罪の要件である作為義務を発生させるためには、当該加害行為の結果、死に至る高度の蓋然性があることが必要であるが、被告人らの七月一三日ないし一六日の行為は、創傷を生じたとしても、それが六田の直接の死因ではなく誘因に過ぎず、また、医学に素人である被告人らにとつて右創傷を誘因として死亡するに至ることは予見不可能であり、いわゆる「先行行為」には該らない、2、被告人らは、六田の雇主で同居者であるに過ぎず、同女に対する救助を「引き受け」た事実はなく、また、同女を隔離して第三者による救済を不能にするような行為はしておらず「支配領域」に置いた事実もない、として、被告人らには、六田に対する法的作為義務がなかつた旨主張する。

しかしながら、1、前掲の関係各証拠によれば、(一)七月一三日における暴行の態様は、前認定のとおり、かなり強力なものであつたこと、(二)同日ないし一六日の暴行によつて、六田は、その顔面、頭部及び肩部に合計一一箇所の創傷を被り、その中には、長さ約二センチメートルの鼻骨々折を伴う鼻根部正中の創や長さ2.3センチメートルの唇を貫通した下口唇の創など、それ自体、かなりの重傷というべきものがあること、(三)証人内藤道興の当公判廷における供述(以下内藤証言ということがある)によれば、右のような創傷に対して縫合などの治療が施されない場合は、これが細菌の感染を受けて化膿性の炎症を起こす高度の蓋然性が存し、その結果、化膿菌が血中に入つて敗血症等の重篤な症状を来たすなどして死亡する可能性の存すること、このような事実が認められるのであつて、これらを総合すれば、被告人両名は、自己の行為により六田を死亡させる切迫した危険を生じさせた者と認められる。

2、また、前掲の関係各証拠によれば、(一)六田は、知能や判断力がやや劣る者であつたが、被告人らは、昭和五五年五月ころ、このような同女を雇い入れ、同年一〇月ころからは、同女に売春をさせてその代金なども取り上げるようになつたうえ、翌五六年二月ころ、もつぱら被告人らの都合により、六田が二〇年近く住んでいた埼玉県朝霞市内から東京都練馬区内の被告人ら方に転居させ、同所で生活させていたこと、(二)その後、被告人らは、六田に対し、しばしば折檻を加えるようになり、このため、六田も、判示第一記載の被害に遭つた直後ころ、「三春」から一旦逃げ出したが、被告人らは同女を捜し出して、再び元の様に働かせていたこと、(三)一方、六田は、シヅ子が警察にも手を回しているため、警察も被告人らの仕打ちを取り上げないものと考え、日頃の虐待により逃げ出せば殺されるのではないかとの恐怖にかられていたこと、更に、(四)本件七月一三日の事件の際、六田は、一旦「三春」から逃げ出したものの途中で転倒し、これを追いかけた秀夫は、同女を認めて「大丈夫か」などと声を掛けている森田泰蔵に対して「引つ込んでいろ」などと怒鳴りつけたうえ、同女を「三春」店舗内に引きずり込み、同店付近飲食店からの通報により臨場した警察官らが、再三店内に入れるよう要請したにも拘らず、内側から鍵をかけてこれに応ぜず、被告人両名は、右警察官らが、六田の「大丈夫」との声を聞いて、その場を立ち去るや、同女を自家用普通乗用自動車で被告人ら方に連れ帰つていること、(五)翌一四日には被告人らは仕事にも出かけず、同女を見守り、判示の暴行を加えて同女を畏怖させ、同女は被告人らに看護をすべて委ね、病状が進み同月一五日から起居も一人ではできず、自ら救済を求めることもできなかつたこと、以上の事実が認められ、右各事実を総合すれば、本件犯行に至るまでの被告人両名と六田との関係は、単なる飲食店の経営者とその従業員というに止まらず、被告人両名が、六田に対し、その全生活面を統御していたと考えられるのであつて、同女が被告人両名の「家畜」であつたとの検察官の論旨はいささか誇大に過ぎるにしても、これに近い支配服従関係にあつたことは否めないと認められ、また、七月一三日以後、被告人両名において、受傷した六田の救助を引き受けたうえ、同女を、その支配領域内に置いていたと認めるのが相当である。

3、前認定のとおりの六田の創傷の程度及び七月一四日ないし一六日の同女の病状、更に、後述のとおり、その任意性、信用性に疑いをさしはさむ余地がないと認められる、被告人両名の各供述調書によれば、被告人らが、いずれも六田に対し医療行為が必要であると認識し、同月一六日には、同女の死を予見していたと認められることからすると、被告人らが、すでに同月一四日には、同女の創傷が医師による適切な医療行為を必要とする程度の重いものであることを認識し、更に、遅くとも、同月一六日には、同女の死を予見しえ、また予見していたと認めるのが相当である。

以上1ないし3の各事実のほか、本件当時、被告人らが六田をして、医師による治療を受けさせることが格別困難であつたと認められる事情も存しないことを総合考慮すれば、被告人らには、六田に対し、七月一三日ないし一五日の暴行による創傷の悪化を防止し、その生命を維持するため、同女をして医師による治療を受けさせるべき法的作為義務があつたというべきである。

二不作為について

弁護人は、不真正作為犯たる殺人罪が成立するためには、当該不作為が作為犯たる殺人罪における定型的実行行為と同価値であること、すなわち、生命維持に必要な行為を積極的に放棄ないし阻止していることを要するが、被告人両名は、六田に対し、同女の生命維持に必要な基本的行為たる飲食物の供与のほか、化膿止めの錠剤、解熱剤及び栄養剤を投与し、氷枕をあてがうなどの被告人らにとつて最善と思われる治療をなしていたのであるから、殺人罪の実行行為と同価値の不作為には該当しない旨主張する。

しかしながら、前掲の関係各証拠によれば、1、当時、六田が必要としていた処置は、創傷の消毒・縫合、症状に即応した抗生物質の投与、持続点滴などであつたこと、2、被告人らがなした右のような薬品の投与は、しないよりまし、といつた程度のものであり、被告人らも、六田の病状に鑑み、医師による適切な医療的処置を必要としていることを認識しながら自己の犯罪発覚を恐れ、単なる気休め程度の考えで、そのような行為をするにとどめていたこと、3、被告人らが、同女をして、右1記載の処置を受けさせることは容易であつたこと、が認められる。これらを総合すれば、前認定のとおり、被告人らに課せられた作為義務の内容は、自ら与えた創傷の悪化を防止すべく、医師による適切な治療を受けさせること、というものであり、本項冒頭記載のような行為を被告人らがしていたことのみをもつて、右作為義務を果たしたとは到底認められないばかりか、前認定のような被告人らと六田との関係、被告人らが七月一三日以後同女を支配内においていたことも考え合わせると、病状が悪化していくにもかかわらず適切な医療措置を講じさせないという不作為は、不作為による殺人の実行行為と評価できる。

三殺意について

弁護人は、被告人らに殺意はなかつた旨主張し、当公判廷において、秀夫は、七月一八日に至つて初めて六田の死を予見した旨、シヅ子は、六田が死亡するまで、同女の死を予見しなかつた旨各供述する。

しかしながら、シヅ子の当公判廷における供述態度は、およそ真摯にその感得した事実を供述しているとは認められず、また、被告人両名の捜査段階における供述証拠を除いた他の証拠によつても、1、六田の病状は、ほぼ前認定のとおりのものであつたと認められるところ、この点に関する被告人両名の当公判廷における各供述は、これと少なからぬくい違いを見せていること、2、七月一七日、秀夫とシヅ子が、六田はもうだめではないかとの話をしていたと認められること、などに徴すれば、被告人らの右のような当公判廷における各供述は、俄には信用し難い。

結局、六田の病状、これをめぐる被告人らの言動などのほか、被告人両名も、捜査段階においては、七月一六日に同女の死を予見し、これもやむをえないと思つた旨供述していることに鑑みれば、被告人らは、それぞれ、同日に、未必的殺意を抱いていたと認めるのが相当である。

なお、弁護人は、被告人両名が殺意を認めた各供述調書は、いずれも、長時間にわたる精神的威圧の下で、誘導、理詰めの尋問などに基づき作成されたものであつて、任意性がない旨主張する。

しかしながら、右各供述調書においては、被告人らの争つている点は、そのまま記載されており、その時々の被告人らの供述するところをそのまま録取したと認められ、取調官から何らかの強制が加えられたことを窺わせる形跡は見当たらない。結局、右各供述調書は、その任意性に疑いをさしはさむ余地はなく、その内容も、他の証拠から認められる客観的状況とよく符合し、その信用性も高いと認められる。

以上の次第で、被告人らの判示第二の所為に関する弁護人の各主張は、いずれも採用しえないものというべきである。

(法令の適用)<省略>

よつて、主文のとおり判決する。

(和田啓一 犬飼眞二 富永長朗)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例